プロジェクトXが始まって5回目の放送。
第5回 2000年4月25日放送「世界を驚かせた一台の車」
~名社長と闘った若手社員たち~

以下はナレータのせりふの一部です。

本田宗一郎は、これはビッグ3と並ぶ千載一遇のチャンスだと
現場にはっぱをかけつづけた。そんな宗一郎の姿に若手たちは
次第に疑問を募らせていった。

それからまもない頃だった。専務の河島はエレベータで宗一郎と
のりあわせた。若手の気持ちを率直に伝えた。宗一郎は一瞬驚いた。
そして、その日を境にして開発プロジェクトから足を遠ざけていった

この8ヵ月後、本田宗一郎は突然社長の座を降りた。宗一郎は引退を
決めた理由をこう語った。CVCCの開発に際して、私は、ビッグ3とならぶ
絶好のチャンスだと言った。その時、若い人たちから「自分たちは
会社のためにやっているのではない。社会のためにやっているのだ」
と反発された。いつのまにか私の発想は企業本位にたったものに
なってしまっている。若いということはなんと素晴らしいことか。
みながどんどん育ってきている。

CVCCは当時のCIVICに搭載
最近CIVICも2リッター?になってしまったのが残念



WEBには次のように書いてありました。アメリカの「マスキー法」
に定められた厳しい排ガス規制を初めてクリアし、世界をアッと
いわせたホンダの「CVCCエンジン」。驚異的な低公害エンジン
誕生の陰には、社長・本田宗一郎氏と若き技術者たちの激しい格闘の物語があった。
昭和44年、人気車種に欠陥が見つかったことから、会社存亡の危機に
立たされたホンダは、20代の技術者を中心に"低公害エンジンプロジェクト"
を立ち上げる。先発大企業の技術の「改良」を試みる若手に対し、
独自技術の開発にこだわる社長・本田宗一郎氏。4年後、プロジェクトは、
F1レースで培ってきた「ガソリンを徹底的に燃焼させる」技術を一般エンジン
に持ち込み、全く新しい方法で低公害化を実現する。
「これで世界一の自動車会社になる」と喜ぶ社長に、若手は
「私たちは社会のためにやっているのだ」と反発した。
この言葉を聞いた本田宗一郎氏は「自分の時代は終わった」と、
まもなく社長の座を降りる。試行錯誤のエンジン開発の陰で繰り広げられた、
名社長と若手技術者たちの世代を越えた心の交流を描く。



自動車にまつわる法律のことはまったく知りませんが、
日本(もちろん日本だけでなく世界的に。特にアメリカ)
でも低公害、低燃費車が今以上に優遇されるべきだと思います。
トヨタの社長が「空気をきれいにする車を」という話をしていましたが、
現実には無理でも、そういう心意気が大事なのではと強く思います。